久々のシンプルライフ系記事、特に断捨離した物があるわけでもないが思いついたので書いてみる。私の中でシンプルライフや断捨離は、ブームではなく常に心に留めておきたい生活の知恵。

最近いろんなノンフィクションお勉強系の本を読んでいると、シンプルライフ系の本じゃなくても、似たような考え方が出てきたりする。結局人間を幸福にするために知恵は、どこかで繋がっているもののようだ。

 

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断捨離とは「選択すること」

一昨年の年末に一気に断捨離して、その後もちょこちょこと物を処分してきた。最近はあんまり物の増減がない状況が続いている。もう少し物を減らしたいなーとは思うのだが、自分たちなりに物をかなり絞り込んだ状態なので、ここから減らすのは私たちが次のステージ?に上がらなければ実現しそうにない。

いろんな物を捨てたり、買い替えたりしたことを振り返ると、「断捨離って物を捨てることじゃなく、選ぶことなんだ」と思った。「何を捨てるか」というよりは、「何を残すか」を考える行為。買い替えにしたって、「今どういう物が必要なのか」を吟味した上で、家に置く物を「選び直す」行為だ。



家の中をきちんと把握する

物を処分しながら思ったのは、「物が多すぎて、持ってることを忘れかかっている物があった」ということ。特に洋服とか「これ、まだ持ってた!」みたいなものもあった。何年も触ってもないってことね。他にも使ってないケーブル類とか、使う予定もなさそうな文房具(鉛筆とか)とかね。

物を減らすこと、吟味することで、「家の中にあるものをきちんと把握する」状態に近づける。物をいっぱい持ってても、どこにあるのか分からなかったら使うことはできない。「まだ使える、いつか使うかも」と言いつつ、そんな時が来ても使えないなら持っている意味はない。

物の適正量は人それぞれなので、物が少ないことが正義ではない。所有している物を把握し、必要な時にきちんと使えること、所有している物が死蔵品でないことが大切。



すべては「不快を排除する」ために

物を大量に処分したことで、家の中にゆとりのスペースが増えていった。ギュウギュウだった収納がゆったりし、クローゼットに収められなかったものが収まるように。そうやって物が収納に収まるようになっていくと、次は「より使いやすくするには」を考えるようになる。いくら綺麗に収まっていても、使うとき出しにくくてはいけない。そういう生活動線的な視点で収納を考える。 

物の買い替えも、それまで使っていた物が使えなくなった訳ではない。買い替えたのはもともと「使いにくい」「手入れしにくい」「ルックスに難あり」と思っていた物だった 。代わりに買った物はネットを駆使するなどして徹底的に吟味し、多少値が張っても長く、快適に使える物にした。

それらの行為が何に繋がるかと言えば、「不快を排除すること」である。「使いにくい」「物が多すぎてごちゃごちゃする」「そもそも気に入らなかった」、これらとさよならするための行為。 嫌な気持ちになる瞬間を減らすためにしてたこと。



何か人生そのものみたいね

こうやって振り返ってると、「断捨離ってなんか人生みたいね」って思う。今私たちは「なるべくやりたくないことから遠ざかり、やりたいことだけをやる人生に近づいている」最中である。その過程と断捨離の過程がなんとなく重なる気がする。漫然と生きていくのではなく、自分のやりたいことをきちんと吟味し、より望ましい人生を選び取って行くのだ。




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