巷で良くある恋愛観って「1人の相手と添い遂げる」というのが大前提として良しとされ、「恋愛→結婚→子作り→家庭を築く→2人で老後」なんてイメージがあるよね?もちろん私も今のところは、「相方と2人+楽しい仲間たち」で老後を迎えるつもりではある。しかしその人生設計はあくまで「今のところ」であり、お互いに予定を変更したいことが起こったら、その時は前向きに検討する所存。
日本は一夫一婦制の国であり恋愛は「1対1」が基本と考えられているが、世界には一夫多妻制の国もある。そう考えると、そんなルールすら絶対的なものではない。 まぁ二股で痛い目見た私は、今後同時進行で複数の人と恋愛するつもりはないけどねー。「1対複数」「複数対複数」的な恋愛が成り立つのは、関係者全員がそのルールに合意している場合だけ。日本ではなかなかそういう恋愛は難しいし、そもそも私はそんなに器用なタイプではない。
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前からこういう内容の記事を書こうと思っていたが、そのきっかけとなったのがこちら。
「クローゼットの中のオープンリレーションシップ」 ← 「2CHOPO」より。
「オープンリレーションシップ」とは、関係者の合意のもと、パートナー以外とも恋愛関係を結ぶような関係のこと。
「オープン・リレーションシップ」 ← 「Wikipedia」より。 詳しくはこれとか読んでみて。
上記の記事を書いたキャシー氏は、周囲の偏見を気にして「オープンリレーションシップのことはしばらく秘密にしていた」とのこと。それは「ゲイだったことを受け入れられなかった自分に戻ったよう」な気持ちだったらしい。
キャシー氏の懸念、分かるような気がする。「ゲイであること」は昨今のLGBTブーム?もあり、以前より理解が広がっていると思うが、「オープンな関係」については「それって都合の良い自由恋愛じゃない?」「子供ができないゲイだからできること」とか言われそう。もちろんこのような関係は同性愛者に限ったものではなく、ストレート(ノンケ)の方々でも実践されている方もいるわけだけどね。
この「オープンリレーションシップ」に関係する概念として、「モノガミー」「ポリガミー(ポリアモニー)」という言葉がある。これらの言葉を初めて知ったのは、ニューヨークに生きるゲイガップルを描いた羅川真里茂氏の作品「ニューヨーク・ニューヨーク」だった。
↑いつか実写化されないかと期待している作品。アメリカ社会の抱える問題も描いており、完全に大人向けの作品。
簡単に言うと、「モノガミー」とは「1対1の関係」、「ポリガミー」とか「1対複数」「複数対複数」のこと。ポリガミーの場合は関係者全員がその状況に合意していることが前提なので、一方的な浮気などは含まれない。 この言葉は「関係性全体」に対しても使ったりするらしいが、「その人自身がどのような関係を良しとするか」ということにも使うようだ。
一夫多妻制の国があることは知識としては知っていたが、そうじゃない国でも単なる浮気ではない「1対1じゃない恋愛、パトーナーシップがありうる」ということを知り、衝撃を覚えた記憶がある。よく考えたら婚姻に関する制度なんて、国を治めるために後から考えたもの。制度が整う以前には、子育ても含めてもっと合理的な関係が存在していたのではないだろうか。
恋愛に限らず、どんな人間関係にも「賞味期限」ってあると思う。その期限が限りなく長い相手を見つけられたらそれはとても幸せだけれども、そうじゃなくても適宜相手を代えればいいと思う。もしくは、自分自身がどんどん変わっていくことで、同じ相手でも関係を更新し続けられるかもしれない。
これが結婚して子供もいる場合だと、「そんな簡単に夫婦関係を解消できない」ってなるのかも知れないがそんなことはない。子育てと夫婦間の恋愛感情は別の話だ。日本だって離婚なんて珍しくなくなったし、欧米なんかだと婚姻関係と関係なく子育てがなされるのは普通の話。一緒にいても楽しくないと思ってて、でも子供のために仮面夫婦をしてる2人に育てられる子供のことを考えると、さっさと離婚してそれぞれが幸せな状態で子供に接する方がいいに決まっている。
この「添い遂げ幻想」みたいな考え方、私の中にはないかも。相方とはこういう話を普通にできる。「え〜、捨てないで〜」なんて感情的な話にはならないね。「2人の愛は永遠」とかいうファンタジックな思い込みはしないタイプで良かった。
というわけで、人は常に自分が心地よいような人間関係に身を置くことが大切で、 それが結果としてそれまでのパートナーとの離別に繋がってもそれはそれなのだ。要は「思い込み」とか「惰性」で生きるのをやめ、自分と相手の幸せを真剣に考えていれば良い。そうすれば、賞味期限が切れた時には互いに感情的にならずにさよならできるはずだ。
そう言えば、これに似た台詞を子供の頃に読んでた少女小説の登場人物が言ってたな。「好きな人が自分を好きじゃなくても、相手のために自分ができることを全てやったら、自然と諦められると思う」とか何とか。
↑藤本ひとみ氏の「漫画家マリナシリーズ」のどれかの作品で、マリナの思い人である和矢が言ってた。
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日本は一夫一婦制の国であり恋愛は「1対1」が基本と考えられているが、世界には一夫多妻制の国もある。そう考えると、そんなルールすら絶対的なものではない。 まぁ二股で痛い目見た私は、今後同時進行で複数の人と恋愛するつもりはないけどねー。「1対複数」「複数対複数」的な恋愛が成り立つのは、関係者全員がそのルールに合意している場合だけ。日本ではなかなかそういう恋愛は難しいし、そもそも私はそんなに器用なタイプではない。
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オープンリレーションシップ
前からこういう内容の記事を書こうと思っていたが、そのきっかけとなったのがこちら。
「クローゼットの中のオープンリレーションシップ」 ← 「2CHOPO」より。
「オープンリレーションシップ」とは、関係者の合意のもと、パートナー以外とも恋愛関係を結ぶような関係のこと。
「オープン・リレーションシップ」 ← 「Wikipedia」より。 詳しくはこれとか読んでみて。
上記の記事を書いたキャシー氏は、周囲の偏見を気にして「オープンリレーションシップのことはしばらく秘密にしていた」とのこと。それは「ゲイだったことを受け入れられなかった自分に戻ったよう」な気持ちだったらしい。
キャシー氏の懸念、分かるような気がする。「ゲイであること」は昨今のLGBTブーム?もあり、以前より理解が広がっていると思うが、「オープンな関係」については「それって都合の良い自由恋愛じゃない?」「子供ができないゲイだからできること」とか言われそう。もちろんこのような関係は同性愛者に限ったものではなく、ストレート(ノンケ)の方々でも実践されている方もいるわけだけどね。
モノガミー・ポリガミー
この「オープンリレーションシップ」に関係する概念として、「モノガミー」「ポリガミー(ポリアモニー)」という言葉がある。これらの言葉を初めて知ったのは、ニューヨークに生きるゲイガップルを描いた羅川真里茂氏の作品「ニューヨーク・ニューヨーク」だった。
↑いつか実写化されないかと期待している作品。アメリカ社会の抱える問題も描いており、完全に大人向けの作品。
簡単に言うと、「モノガミー」とは「1対1の関係」、「ポリガミー」とか「1対複数」「複数対複数」のこと。ポリガミーの場合は関係者全員がその状況に合意していることが前提なので、一方的な浮気などは含まれない。 この言葉は「関係性全体」に対しても使ったりするらしいが、「その人自身がどのような関係を良しとするか」ということにも使うようだ。
一夫多妻制の国があることは知識としては知っていたが、そうじゃない国でも単なる浮気ではない「1対1じゃない恋愛、パトーナーシップがありうる」ということを知り、衝撃を覚えた記憶がある。よく考えたら婚姻に関する制度なんて、国を治めるために後から考えたもの。制度が整う以前には、子育ても含めてもっと合理的な関係が存在していたのではないだろうか。
「添い遂げなければいけない」という幻想
恋愛に限らず、どんな人間関係にも「賞味期限」ってあると思う。その期限が限りなく長い相手を見つけられたらそれはとても幸せだけれども、そうじゃなくても適宜相手を代えればいいと思う。もしくは、自分自身がどんどん変わっていくことで、同じ相手でも関係を更新し続けられるかもしれない。
これが結婚して子供もいる場合だと、「そんな簡単に夫婦関係を解消できない」ってなるのかも知れないがそんなことはない。子育てと夫婦間の恋愛感情は別の話だ。日本だって離婚なんて珍しくなくなったし、欧米なんかだと婚姻関係と関係なく子育てがなされるのは普通の話。一緒にいても楽しくないと思ってて、でも子供のために仮面夫婦をしてる2人に育てられる子供のことを考えると、さっさと離婚してそれぞれが幸せな状態で子供に接する方がいいに決まっている。
この「添い遂げ幻想」みたいな考え方、私の中にはないかも。相方とはこういう話を普通にできる。「え〜、捨てないで〜」なんて感情的な話にはならないね。「2人の愛は永遠」とかいうファンタジックな思い込みはしないタイプで良かった。
互いのことを思えば
というわけで、人は常に自分が心地よいような人間関係に身を置くことが大切で、 それが結果としてそれまでのパートナーとの離別に繋がってもそれはそれなのだ。要は「思い込み」とか「惰性」で生きるのをやめ、自分と相手の幸せを真剣に考えていれば良い。そうすれば、賞味期限が切れた時には互いに感情的にならずにさよならできるはずだ。
そう言えば、これに似た台詞を子供の頃に読んでた少女小説の登場人物が言ってたな。「好きな人が自分を好きじゃなくても、相手のために自分ができることを全てやったら、自然と諦められると思う」とか何とか。
↑藤本ひとみ氏の「漫画家マリナシリーズ」のどれかの作品で、マリナの思い人である和矢が言ってた。
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