相方の3ヶ月の東京修行も先日とうとう終了し、もう少ししたら一旦香川に戻ってくる。話を聞いてると仕事と言うより「部活?」って感じで、修行なのに大いに楽しかった様子。短い期間だったけど、いろいろ学べたみたいよ。私も共に学んだ気持ち。

相方が小商いを志したことで、自分で商売されてる方の話を聞く機会が増えた。商う側の視点を持ってものを見ると、「商売」のいろんなことに気付くようになる。そんなことについて、全然まとまらないけど今思うところを書いてみる。あ、ほぼ私の見解ね。



style="display:block"
data-ad-client="ca-pub-5869483790913921"
data-ad-slot="7842646491"
data-ad-format="auto">

 


嫌な客にならないように

相方は自分がサービスを提供する側に立ったことで、「自分はこんな客にはならないようにしよう」と思うことがチラホラあったみたい。客だからって何をしても言い訳じゃなく、提供されるサービスの内容とそれに値する対価を考えること。

例えば飲食店で食事が済んでも席を占領していると、その席に次に座れたかもしれない客の売り上げを店から奪うことになる。店内が混んでいるなら、用が済んだらさっと席を立てる客になりたいね。



人を雇うこと

全てのことを1人でする仕事ならいいけど、大抵は「誰かと」一緒に働くことになる。取引先の人もそうだし、従業員を雇うことも。人を雇うこと、人を使うこと、それはとても難しく深い。

雇われる人にとって、上司や経営者は煙たいもの。彼らは役割として嫌われ役をせねばならないこともあるが、どう嫌われてるのか、その中身が結構大切だと思う。

【上司、経営者の嫌われる理由】
  • 「仕事に厳しい故に、周囲に緊張感を強いる」←この場合、敬遠されてても密かに尊敬されてる場合が多い。いざとなったら頼りになるしね。
  • 「人間性に問題がある、筋が通らないことを言う」 ←これはどうしようもないけど、こういう人が結構多いような。我が社の誰かさんもこれだなー。
  • 「仕事ができない」 ←彼がいい人なら、下の者が一致団結して支えるということもあるが、大抵は人柄も伴ってなくて迷惑がられてるだけ。
雇い主となるなら、従業員を事業に必要なことをやってもらうロボットみたく見るのではダメだと思う。人はモチベーションの有無で、能力が如何ようにも増減する。従業員のやる気を上手く引き出してこそ、人を雇う意味がある。従業員のやる気のなさ、能力の低さは、全て雇い主の責任と心得よ。



何のための商いなのか

商うことの基本的な目的は「お金を儲けること」なのかも知れないけど、自分なりにでも「社会貢献」を考えてない事業は上手くいかない気がする。自分や共に働く人の幸福追求の先に、お客さんやその周囲にいる人の幸福を求めること。それがない事業はすぐに行き詰まるんじゃないのかなー?

これって事業の芯となる部分であり、目先の利益に振り回されないための重石にもなる。そこがブレるとやってることが支離滅裂になり、関係者のモチベーションが下がることにも。モチベーションを上げるには、「やってることの意味」が明確であること大切だよね?



果てしなくのんびりな相方

こんな話を相方と、もっとくだけた感じでしたりする。相方のいいところは、こういう話をしたからって「では私はこういう商人になる!」とかって燃えないところ。小商いのために学ぶべきことはいろいろあるのかも知れないけど、お勉強と違って正しい答えなんかない。学んだことはヒントにはなっても、進むべき道を示す道しるべとはならない。

経験から学んだことは、じわじわと体と心に染みこんで、そのうちふとした瞬間に影響を現すものだと思う。表面的な、お勉強的な答えなんて意味ないのだ。そんなことを分かっているのか、いないのか、相方は私がじりじりするくらいのんびりと、寄り道しながらの散歩のように小商いへの道を進むのであった。




style="display:block"
data-ad-client="ca-pub-5869483790913921"
data-ad-slot="7842646491"
data-ad-format="auto">




人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村