今は女同士で暮らしている私と相方、過去には男性とのお付き合い経験もある。それも結婚がうっすら見えてくる感じの、それなりに大人の付き合い。結局どっちもダメになったから、今2人で暮らしてるわけだけど。

相方は元彼J氏との付き合いを振り返って「男性と暮らすことが想像できなかった」と言う。私も似たようなことを思っていた。H氏と付き合ってた時は、「この人の子供産んで育てるとか、超ハード過ぎて無理!」ってね。




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相方の場合

相方曰く、「男性と暮らすことが無理っぽかったのは、J氏からそこはかとなく女らしさを求められることへの拒否感からきてたんじゃないか」とのこと。互いに実家暮らしの付き合いで常に外で会ってたので、暮らしが想像できる場面はなかったらしいけど。

相方の話を聞く限り、J氏は特に亭主関白気味とか男の沽券にこだわるタイプではなかった様子。それでもボーイッシュな風貌の相方に「スカートはいて」「女らしい服装して」って言ってたらしい。その辺りに「ジェンダー役割感」を求める感覚が臭うよね。




私の場合

私は「付き合う→すぐに半同棲」的な付き合いが常だったので、相手と暮らしを共にする経験多数。特に家庭的な女じゃない私相手に、H氏K氏は「家事をやってもらう喜び」をアピールしてきた。「自分でもできるけど、やってもらえると嬉しい」って、それは女も同じだよ。

初めは頑張って「尽くす女」的な活動をしてたけど、そのうち「無理〜」ってなってたわ。それでも「何でやってくれないの?」と相手に言われたことはないけど。そんなこと言われたら、即別れるね。

H氏から「このまま付き合ってて問題なければ結婚かな」とか言われて、ちょっと考えた。結婚したとして、家事はどうにでもなる。でも子供が産まれたら?「イクメン」なんて言葉ができちゃうくらい、子育てで女性の担う部分は大きい。というか、ひどいと全部母親だけでやってる?

そんなことを無意識に想像していたのか、いつしか、結婚の向こうに見える「出産」「子育て」への拒否感が生まれていた。H氏と別れた理由は別のことだったけど、それがなくても結局ダメになったのかもね。



私の中の「ジェンダー役割感」
 
男性から求められる「女らしさ」「ジェンダー役割感」への拒否感がある癖に、実は私の中にも男性に所謂「男らしさ」を求めていた部分がある。

大学時代、初めてちゃんとしたお付き合いをしたのがP氏。P氏と一緒にいる時、P氏の「こなれなさ」「世慣れなさ」加減を「ダサいな〜」って感じてた。遊ぶ段取りをサッと組めたり、お店とかでそつなく振る舞えることがカッコいいって思ってたんだよね、きっと。

いや〜、これは相手が男性だという以上に、私自身の若さからきてるかな?恋に恋してた時代だったのか?いずれにせよ、「男ならしっかりしてよ!」的感覚は私の中にもある。これが女性相手だと、そもそもの「ジェンダー役割感」的固定概念がないから、「その人そのもの」として見るしかないもんね。

 

疑うこと

私や相方は女性に恋することで、世に蔓延る「ジェンダー役割感」「男らしさ、女らしさの幻想」を疑う機会を得た。でも多くの人はそんな機会が訪れないまま、世間から押し付けられる「らしさ」を、もやもやしつつ受け入れてるんじゃないのかな?

昔から「女性の権利」とか「ウーマンリブ」とか言われてたけど、それってあくまでも社会的地位とかの話。最近になって「イクメン」「主夫」なんて言葉ができたり、「LGBT」の概念に触れることで、もっと個人的な「ジェンダー」を疑う場面もできた。

うーん、結局は固定概念に苦しめられるんじゃなく、自分はどうしたいかを軸にして、いろんなことを改めて考え直すのがいいのかな?「男らしさ、女らしさ」じゃなく、「あなたらしさ、わたしらしさ」ね。




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