先日あるお客様からなかなか痛烈なメッセージをいただいた。LGBTに関する私の記述について「それは如何なものでしょうか?」ということも含め、ちょっと耳(目?)の痛くなるような内容。愛の鞭的な?

結構好き勝手書いている割には、そういうメッセージをいただいたことがなかったので、読んですぐは正直ちょっとショックだった。しかし、「これは成長の機会が巡って来たな!」と思い直す。

メッセージを読んでいると、「私の考えが文章で十分伝えられてないのだな」と思った。「そういう意味で書いてないのにな〜」ということがいくつか。思いを文章だけで伝える難しさを再認識。まだまだ未熟者だな〜。

お客様に返信を書きながら、「これは私の考えを整理するいい機会かも」と思い、返信内容を記事にすることにした。なお、お客様からいただいたメッセージ部分は、許可をいただき意味内容が変わらない程度に要約した。(太文字部分がいただいたメッセージの内容です)



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LGBT当事者のカミングアウト

  • カミングアウトしない人(クローゼット状態の人)を「可哀想」と思っているようだが、それはどうなのだろうか?したくても出来ない人、する必要がない人もいると思う。
カミングアウトについては、いろんな人の意見と触れるたびに考えが変わってきたが、基本的には「したい人ができない世の中はおかしい」と思っている。「したくても出来ない人」は、「可哀想」と言えるのではないだろうか?

 また「する必要がない人」は別に可哀想とは思ってないし、むしろそれが自然というか。LGBT当事者の中には、生きるためにはリスクを負ってでもでもカミングアウトせざるを得ない人もいる。「カミングアウト」なんて大仰なことをしなくても、自然に生きているける世の中が普通だし理想。

 
  • カミングアウトされた側を傷つける可能性がある。
カミングアウトされた側がどうして傷つくのか?「その人にも十字架を背負わす」みたいな言い方を他でも聞くことがあるが、それはカミングアウトする側の問題ではない。

カミングアウトする人は、それこそ生きるか死ぬかの瀬戸際で話をしている。相手はそれだけ当事者にとって大切な人だからそうするのだ。打ち明けられた人が悩むこともあるだろうが、その問題をどう扱うかは打ち明けられた側の問題である。

もし背負いきれないと思えば、ただ当事者との付き合いをやめればいい。例えそれが身内であっても。

 
  • カミングアウトしたくても出来ないのは差別があるから、というのも疑問。
カミングアウト出来ないのは差別があるから、これは間違いない。具体的な差別を受けたことがなくても、「受ける恐れがある」世の中の空気があるからだ。勇気を出してみたはいいけど差別を受けた、では遅いのだ。だから予防的にカミングアウト出来ない人がごまんといるのだ。



LGBT差別問題
 
  • 誰でも理屈ではなく、それだけはどうしても受けいれられないといものがある。受け入れられない=差別だというのは暴論ではないのか。
この辺りのことは難しい問題だが、「社会的な差別」と「個人的な生理的嫌悪」はどちらが先かという問題も含みつつ、切っても切れないもの。

「個人的にどうしても受け入れられない」を否定するつもりはないが、「社会的な権利を剥奪されている」は人権侵害であり「差別」である。ただ「社会的な差別」の下敷きには「個人的な嫌悪感情」があり、「個人的な感情」は「社会の空気」に影響を受ける。

 社会が変わることで、「どうしても受け入れられない」が薄らぐこともある。というわけで、「当面、個人的嫌悪は仕方ないとして、社会的な差別はなくしてもらわないと困る」という感じ。


  • 同性愛者が異性を受け付けないように、異性愛者もまた同性の想いを受け止めるのは無理なのだ。
恋愛の話は同性、異性、その他関係なく、個人的好みが支配する世界なので、個人のご自由に、だ。ちなみに私は同性、異性どっちもいける派なので、性別で相手を分けてしまう人の気持ちがあまり分からない。
 
  • LGBTなんて言葉が出来るずっと前から、日本は同性愛については寛容な国。欧米のようなヘイトクライムも存在しない。
日本が同性愛について寛容な国なら、とっくの昔に同性婚が法制化されているのではないのか?同性愛的文化があったこと=同性愛に寛容とは言えないし。

欧米のような「分かりやすく見える差別」があまりないからこそ、問題は厄介なのだとも言える。差別感情はあるが具体的事件にならないから、差別問題を解決する、社会制度を変える必要性を一般大衆が感じにくい。

先日アウティングによって大学生が自死する事件があったが、あの事件のように、当事者の自死はまだまだ少なくない。それは間接的な「ヘイトクライム」ではないだろうか? 


  • 私自身は誰が誰を好きになろうと「お好きにどうぞ」としか思わないが、LGBT団体の、まるで弱者を救済しようとするかのような主張は変だと思う。 
私も権利運動をする人の「こちらが正義だ!」感はあまり馴染まないが、まぁ主張自体は概ね間違っていないと思われる。

奪われた権利を取り戻すためには、まず問題がそこにあることを認識させないといけないので、「ここが間違ってる!」とはっきり言う必要がある。多少押し付けがましくなるのも致し方ないかと。

「誰が誰を好きになろうと、お好きにどうぞ」というのはもっともなのだが、好きになった相手、性自認その他の問題でマジョリティが普通に持っている権利を剥奪されていることが問題なのだ。うーん、問題の所在が一般の方にはまだ認識されていないようだな、まだまだ権利運動の必要があるみたい。



思いを伝えることは難しい

私たちカップルを含むLGBTにくくられるような人について、まだまだ「会ったことがない」という人も多いと思う。そんな人たちに「私たち、結構普通に生きてますよ」と伝えたくて、女同士で暮らしていることをブログに書いている。

私たちは「レズビアンの代表」でも、「LGBTに関する専門家」でもない。私なりの考えを伝えることしかできないし、時には間違ったことを書いてしまうかもしれない。思いがうまく伝わらずに、誤解されることもあるだろう。

しかし、それでも構わないと思っている。「何かおかしくない?」と思ったら、今回のお客様のようにメッセージいただければと思います。


↑最近ツイッターで流れてきた動画で、なかなか面白かったのでご紹介。最近「LGBT研修」なるものが大流行りだが、必ずしも教える側に正しい知識と理解があるとは限らない。その辺りのことを、コンパクトに楽しく伝えてくれている。




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