先日友人F氏によって引き起こされたアウティング的事態、大したことにはならなかったが、ちょっと面倒くさいことはあった。アウティングのもうひとりの被害者X氏が、相方にセクシャリティを確認してきたのだ。

セクシャリティに関することじゃなくても、関係のない場所では言いたくない個人的事情というのはあるわけで、ましてや、である。うすうすバレテるのは分かっていたが、改めて確認されて「そうです」というものなんだかな〜。



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同士は同志?

今回のF氏の言動は「私の友達同士は仲良くしてほしい」、もっと言えば「LGBT関係者同士は仲良くできるはず」という考えに基づいている。この思考自体に無理、不自然さがある。

1つくらい共通する特徴を有していても、そのふたりが仲良くなれる十分条件にはならない。話のきっかけにはなっても、仲良くなるためにはもっと別な部分で共感できるか、話が合うかが重要。セクシャリティも個性のひとつと言えるかもしれないけど、それはその人のほんの一部でしかない。



LGBT関係者同士の交流

LGBTの交流の場に行くと、互いに同じような悩みを抱えているということで、普通の人間関係より距離が近づくスピードが速いと感じる。しかし詳しい素性は明かさない人も多いし、「その場だけ」の付き合いだからこそ腹を割って話せるというのもある。

夜の出会いの場などに行ってがっかりするのは、「恋愛の話以外にあまり話題を持っていない人が多い」ということ。素性を隠そうとすると、自分の仕事や日常生活の話はしにくくなる。それ以外のことでも楽しく話せる人もいるが、大抵は恋愛の話に終始し、出会いを求めていない私たちは行く必要がないということに。

結局「LGBT関係者」以外の共通点がないと、継続的に付き合いの続く友達にはならない。前は共通点のない人とも遊んだりしてたけど、時間とお金の無駄なのでやめた。



「女同士=仲良し」ではないでしょ?

LGBT関係者がカテゴライズされる際に使われる「セクシャリティ」というのは、ストレートその他の人にとっては「自分が男か女か」くらいの特徴である。「レズビアン同士」というのはただの「女同士」というくらいの意味しかない。女同士だからって話が合うかは人によるでしょ?

というわけで、「同じセクシャリティ」「同じLGBT当事者」だからって、仲良くなれる根拠はないし、する必要もない。自分の周りにそういう人が複数いたからって、彼ら同士を仲良くさせる必要はないし、むしろ勝手な情報漏洩は両方にとって害悪でしかない。

今回の言動がどうダメだったのか分かったかな?F氏よ!



【おまけ】映画におけるレズビアン
 
Facebookか何かで流れてきた映画「アンダー・ハー・マウス」というの宣伝。「レズビアン界のアイコン」とか言われてるジェンダーレスな女優「エリカ・リンダー氏」が初主演するとのこと。なんとなく予告動画を見てみた。


「アンダー・ハー・マウス」 ←10月7日(土)から日本公開開始。

予告編見て思ったのは「LGBTに寛容だと言われるカナダでも、未だにこんな感じのレズビアン映画撮ってんの?」と言うこと。「Lの世界」以前って感じじゃない?職業「大工」とか……ダイクが大工。本編見たら、印象変わるのかしら?

プロパガンダとしての映画を求めているわけではないが、表現の世界が社会の変革を牽引してくれないかとは期待するわけで。うーん、ぬるいんだよな〜。女性同士の激しいラブシーンとか、どっちでもいいんだよな〜。ディカプリオ似とかいう女優さん、もっと別の使い方したら面白そうなのにな〜。




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