訃報が飛び込んできた。冬は他の季節に比べて、そういうことが多い気がする。祖父も祖母も冬に逝った。今回亡くなったのは同年代の知人、ちょっと、いやかなりキツい。

訃報に接するたびに、「私はどう振る舞うべきだろう」と思う。近しい人でない場合、生活に影響もないし思い出を共有できる相手もいない。その人との思い出をひとりで思い出すだけでも、逝った人への餞けとなるのだろうか?




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社交ダンスサークル「GMB」で出会う

その方は私の社交ダンスの先生だった。私たちは「ゆか先生」と呼んで慕っていた。習っていたのは1年足らずの時間だったが、その後も不思議な縁もありSNSで繋がってその活躍を及び聞いていた。

ゆか先生は当時のリーダーの先生と、若者向けの社交ダンスサークル「GMB(Girl meets Boy)」を主催していてた。社交ダンスって平均年齢がとても高い(50代でも若手って言われる)ので、当時20代だった私にはとても貴重な場だった。 

GMBはゆか先生が、自分のリーダーを探すために始めたサークルだったらしい。 社交ダンスって男性が希少価値である。プロダンサーであるゆか先生の相手を探すため、若者を集めて青田買い?するためのサークル。そうやって見つけた人が、当時のゆか先生のリーダーだった。



ジャス&社交ダンサー、ゆか先生

 ゆか先生はもともと大学でジャズダンスをやっていて、ダンススクールの講師になる際に社交ダンスも始めたらしい。ジャズダンスがベースなので、社交ダンスでもモダン(組んで踊るワルツとか)よりもラテン(ルンバとかチャチャとか)が得意なダンサーだった。競技会でのランクもラテンの方が上。

ラテンダンサーは女性もすらっとスレンダーよりは、筋肉質でがっちりしてる方が映える。 競技会ではドーラン的なもので顔や体を褐色に着色する。ラテンのお国の方に、風貌を寄せていくのだ。ゆか先生は背も低く筋肉質、ラテンダンサーとしてもってこいの体型だった。

競技会でのダンス、パーティーでのダンス、そういう本気のダンスを見る機会は数えるほどしかなかったが、「本物とはこういうことなんだな」と見るたびに思った。シャープだけどねちっこい、匂い立つほどの愛憎とそれとは裏腹な健康美、それがラテンダンスだと知った。



恋をつかんでいた 
 
GMBの古参メンバーから、「ゆか先生の恋愛下手」な話を聞いたことがあった。訃報を聞いた時初めて、ゆか先生が今のリーダーの先生と結婚していたことを知る。大きなお世話だけど、「あ、ちゃんと恋をつかんでたんだな」と安堵した。

ゆか先生は最後まで病のことを隠し、お見舞いも断って闘病していたらしい。それはプロダンサーとしての矜持、「またフロアに戻るんだ」という強い決意だった。その時最愛の旦那様が横にいたのだろうと思うと、少しだけ救われた気持ちになる。



「ありがとう」だけしかない

 私がゆか先生とお別れしたのは、今考えるととてもくだらない理由だった。社交ダンスの楽しさを教えてくれたのはゆか先生だったのに、大切な趣味を手放してしまったこと、今でも「もったいなかったなー」と思う。

失った時間は戻らないけど、あの頃の楽しかった時間は消えない。パーティー出演のために衣装を借りたこと、教室で丁寧に教えてもらったこと、大きな口で豪快に笑うゆか先生の顔、カッコよく踊ってる時、リフトでスカートがめくり上がったままだったこと、競技会の帰りの車の中で「たけのこニョキン」をしたこと、たくさん覚えてる。

私が知ってる当時から後も、もっともっと幸せな時間を過ごしていたんだと思う。ありがとう、ゆか先生。社交ダンスは、失恋で牢獄に閉じこもっていた私を救ってくれたものでした。ご冥福をお祈りします。




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