またまたあの暑苦しい男が香川にやってきた。松岡修造氏ならぬスタンダップコメディアン「清水宏氏」が、またまた香川で公演を行うというのだ。
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しかも今回の公演は、なんと「高松市主催」のアーティスト・イン・レジデンス事業の作品として制作、上演された。おぉ〜、あの清水氏に行政がお金を出すなんて!時代が彼に追いついてきたか!?





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テーマは、昭和48年「高松砂漠」
 
公演タイトルは「清水宏のひとり大河ドラマ 仁義なき水戦争 〜高松死闘編」。……長いね。我が香川は、夏になると「水不足」が発生することで全国的にも知られている。昭和48年、まだ香川用水(高知のダムから香川に命の水を運ぶ道)ができる以前、「高松砂漠」などと呼ばれる歴史的水不足に見舞われた。今回の公演のテーマはその「高松砂漠」。

清水氏は街を歩き、当時を知る市井の方々をいろいろ取材して周り、それをもとに演劇作品を作り上げた。登場するのは「団地の親子」「水道局職員たち」「水利組合の方々」「染物職人たち」「うどん店の人々」 。10人を超える人々を、清水氏たった一人で演じた。 

「高松砂漠」は私たちが生まれる前のことであり、私が知っている水不足よりもはるかに過酷な状況だったらしい。そんな話を香川にゆかりのない(今できつつあるが)清水氏から聞く、なかなか面白い体験だった。

エンドロールには取材協力者として相方の写真と名前が登場、なかなか嬉しいサプライズ!ただ相方のお店に、お茶飲みにきてくれただけなんだけどね。



先輩と後輩のポストパフォーマンストーク
 
私たちの見に行った回は、公演後に清水氏、劇団山の手事情社の安田氏、制作の植田氏によるトークが行われた。安田氏の話を聞くのはこれで2回目、清水氏も山の手事情社出身であり、久々に先輩、後輩のトークが叶ったということらしい。

安田氏も清水氏も、根っこには同じものを持っていることは話を聞いていればわかる。しかしこのふたり、安田氏がそれなりに洗練された話し方をするのに、清水氏の「山出し感」、丸裸な感じが面白い。そして安田氏の欧米礼賛的発言を、清水氏がやんわりたしなめフォローしたあたりは「清水氏、やる〜」と思った。

 

演劇の不可欠性
 
前に安田氏の話を聞いた時にも同じことを言っていたが、欧米ではそれなりの規模の街だと、「病院」「学校」「劇場」 はセットで存在するらしい。そして劇場には必ず、その劇場付きの劇団がある。それくらい、人々の暮らしに演劇が根付いているとか。

ではなぜそんなに「劇場」「演劇」が重要視されるのか、劇場は「病院」でも「学校」でも解決できない人生の難問をクリアするヒントをくれる場所だという。「失恋」「生きる意味」「差別」「貧困」そんな人類にとってなくなることない問題が、演劇の中では盛んに描かれる。それを見るだけで問題は解決されないが、癒されたり生きる力をもらったりする。




みんな変態であり、変態でいいんだ
 
清水氏が、「「みんな変態であり、変態でいいんだ」ということが演劇では伝えられる」というようなことを言っていた。みんな変態……そうか、そうだよな〜。みんなどこかしら「普通」と言われる状態からズレてる部分があるはず。でもそれを隠してお行儀良くしなきゃと思っている。

清水氏を見ていると、「ここまで獣のように裸な自分でもいいんだな」と思えてくる。汗や唾を飛ばしながら必死に舞台を務める清水氏は、ちょっと変態チックかもね。でも何度でも見たくなる。「いいな〜」と思う。

「普通」という呪縛から解き放たれること、変態である自分を認め、むしろ積極的にそうあろうとすること。清水宏氏、なかなか深い、まだまだ深い。また香川に来るのを待っているぞ!




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