親に甘えるあどけない子供を見るたびに、「この子も思春期になったら「くそババア」「くそじじい」とか言うのかしら?」な〜んて意地悪なことを思ってしまう。それとも、最近の子供は反抗期なんてないのかしら?

私は小賢しい子供だったので、表立って反抗することはなかった。分かりやすく反抗して、叱られてる最中に「うるさい」とか言ってる妹を見て、「バカだな〜、説教伸びちゃうじゃん」とか思ってた嫌な子供。



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親の言葉、子の言葉 
 
「親の心子知らず」という言葉がある。「子供のうちは親の愛情が分からない、自分が親になってみて初めてその気持ちを理解する」なんて意味だな。私は親になる予定がないので、いつまでたっても親の気持ちは理解できないと言うことか。まぁ子育ての苦労は理解できないもんね。

しかしもっと深刻に考えたいのは、「子の心親知らず」である。親に向かって思春期の子供が酷い言葉(「産んでくれって頼んだ覚えはない」とか、まぁ間違っちゃいない)を吐くと、親は泣きながら子供をひっぱたくという一連の流れがあるが、そんなの子供が冷静になれば、大人になればちゃんと反省できること。

しかし、親が深く考えずに口にした酷い言葉を、子供はいつまでたっても覚えていたりする。それが時々蘇り、また新しく傷ついたりする。



言葉は呪縛
 
言葉は思っている以上に人の心を縛る。それが親からの言葉ならなおさら、簡単に消すことができない。他人なら相手を憎むか無視するかして、付き合いをやめてしまえば忘れられるけど、親と付き合いをやめるなんてなかなかできない。

他人からすれば大したことない言葉かもしれないけど、本人にとっては存在を否定されたように感じることもある。ふとした言葉に親の本心を嗅ぎ取って、「親にとって自分はそんな存在なんだな」と知る。言葉を発した本人は、そんなこと言ったこと自体忘れてると思うけど。



憎しみではなく、ただ「そうなんだ」と思う

だからと言って親を憎むとか、そういうことにはならない。そんな簡単な話じゃない。憎しみとかでなく、ただ「そうなんだ」と思う。あの言葉に現れたものを冷静に眺め、そんな言葉を子供に聞かせた迂闊さに呆れる。

私は親になることはないけど、さまざまな場面で出会う子供たちに、そんな言葉を投げることのないようにと思う。そして世の「親」たちに、「気をつけてくれ!」と思うのだった。




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