私はとっても自分に甘いし、決してマメなタイプではない。箍が外れればどこまでも堕落できる自分を知っているからこそ、日々ほんの少しの努力を心がけ、やるべきことをこなしている。

習慣になれば努力せずとも体が動く。私は習慣化が得意みたいで、堕落しやすかった若い頃とは見違えるような(と言っても普通程度の生活状態)毎日を送れるようになった。そうすると今度は、「習慣から逸脱すること」が怖くなってくる。



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怠慢からの復活

習慣化で順調に毎日が続いていても、一度怠けてリズムを崩してしまうと、そこから復活するのには習慣を続ける以上のエネルギーがいる。怠けてる期間が長ければ長いほど、復活するのが大変だ。

年齢を重ねて「どうしても怠けてしまう日」を許せるようになって、崩したリズムを素早く復活させることもできるようになった。それでもやっぱり「習慣から逸脱すること」への忌避感は強い。ここら辺、柔軟にできるようになりたい〜。



目的を見失わない

 習慣化してまであれこれやるのは、「自分の思うような毎日を送る」ため。そしてそれは「精神の安定」「幸福の追求」のためなのだ。その目的を見失って、ただただ習慣をこなすことだけに懸命になっても意味がないのだよな〜。

ふと我に返ってそう思うのだが、なかなかどうして「堕落への恐怖」から抜け出すのは難しい。堕落したっていいし、また復活できる自分を信じてあげればいい。意外と「自分を許すこと」は難しいのだった。



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