子供の頃には「友達100人できるかな?」なんて歌ったりして、「友達は大事、多い方が良い」的価値観を植え付けられてきた。でも大人になると思うのは、「友達っていてもいいけど、いなくてもいいんじゃない?」ってこと。

このテーマ、実はラジオで相方と話したのだが、アプリの不具合で消えてしまったので、ブログでリサイクルすることにした。



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友達の定義

そもそも「友達の定義」ってなんだろう?互いが「友達だ」と認識してるというのが大前提だと思うけど、小学生ならいざ知らず、大人は「友達だよね?」なんて誰かと言い合ったりしないわけで。

学校時代に知り合って、大人になっても関係が続いてる人は友達?部活とかの先輩後輩は友達と言える?大人になって職場なんかで知り合った人は?「知人」と「友達」の境目って分からなくない?

「親友」という言葉もある。フィクションで描かれる「親友」とは、相手のために命をかける(走れメロス的な?)とか、そういう重みのある関係。でもそんなシリアスな関係って、実際あるのだろうか?

走れメロス (新潮文庫)
太宰 治
新潮社
2005-02





知人の数「相方<私」

相方は学校時代から関係の続いている人がとても少ない。かと言って、その少数の人とすごく深い関係を続けているのかというと、そういうわけでもない。そもそもソロ活動の方が心地よいタイプなので、連む相手はあまり必要ないようだ。

私は「広く浅い人間関係」が得意なタイプ。学校時代も社会人になってからも「団体でする活動」に参加することが多かったので、うっすら「友達カテゴリー」な人は結構いる。最近は新たに誰かと知り合う(SNS等で繋がる)ハードルがどんどん下がっていて、「嫌なら遠ざかればいいや」ととりあえず「知人カテゴリー」な人が増える一方。



 
「大人になると本当の友達はできにくい」説

私が子供の頃に母が言っていた「大人になると本当の友達はできにくい」説、これってどうなんだろ?大人になると「友達になる」という意識自体がないから、まぁ友達はできにくいかもね。大人は友達との関係より、自分と身内のことが優先になるから「友達大事」とはなりにくいし。

しかし子供の頃に「友達」と思った人と、今も続いてるかと言われたらそんなこともない。大人になってから知り合った人との方が、長く関係が続いてることの方が多い。だからと言って、その人が友達なのかと言われたらそれも微妙だけど。



友達なんてできなくてもいいじゃない

子供の頃はあんなに「友達作ろう」なんて教え込まれてたけど、できないならできないでいいと思う。コミュニケーションをとる相手が誰もいないのは寂しいなと思うけど、それが「毎日行く店の人」でもいいし、「ペット」でもいいし。そういうのがなくても大丈夫な人もいるだろうし。

必要があれば、自然とふさわしい人とも知り合う気がする。友達じゃなくても、趣味の話ができる相手とか、仕事の相談する相手とか。大人になれば友達だからと言って、心の全てを預けるようなこともないわけで、関係性の濃度の違いはあれ「ただの知り合いがいっぱい」というのでもいいじゃん。

だから、学校に行ってる子供たちなんかで「友達がいません」なんて悩んでる人がいたら、「いなくてもそのうち困らなくなるよ」と伝えたい。




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