図書館通いを再開して、順調に?読書生活を楽しんでいる。今は週1冊ペースでしか読めてないけど、本の世界に没頭する時間は本当に幸せだ。

先々週借りた本は、立て続けに「家族」が描かれた作品だった。その中でも印象に残ったのが「大人になると忘れがちな、子供の聡さ」である。 



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「アンマーとぼくら」(有川浩)

アンマーとぼくら
有川 浩
講談社
2016-07-20


映像化された作品も多い有川氏、この作品は映像化するには少々派手さに欠けるかな?派手ではなくても、じんわりと心に染み込んでくる「出汁」のような作品。

リョウの母親は、彼が小学生の時に亡くなる。母親の死後2年足らずで、父親の再婚に伴い北海道から沖縄へ移住する。死んだ母と新しい母、父と息子。小学生のリョウと大人になったリョウが思い出を旅するお話。

リョウの父親は誰よりも子供だった。小学生のリョウの気持ちも、死にゆく妻の気持ちも慮れないような人。2人の妻は、そんな子供すぎる男を心から愛した。父親の子供加減に振り回される息子リョウも、2人の母を、そして父を、心から愛していたのだった。

父親は本当に子供のような人で、 リョウは小学生時分で既に「お父さんはそういう人だから」と悟っちゃってるんだ。精神的にはリョウの方が大人なわけ。それはリョウが特に大人びて聡い子供なわけじゃなく、子供って親のことをよく知ってるということ。

リョウの父親の子供加減は、「大人であるかどうかは、年齢と関係ない」と教えてくれる。リョウの父親ほどじゃなくても、いつまでも子供な人っているよな〜って。




「あしたの君へ」(柚月裕子)

あしたの君へ
柚月 裕子
文藝春秋
2016-07-29


 こちらは家裁調査官補(見習い)が主人公の作品。家庭裁判所は家事審判・家事調停と、少年審判を扱う裁判所である。子供と関わる事案も多く、この作品でも幾人かの子供が登場する。

最後に親権をめぐる離婚調停のケースが出てくる。子供は小学生。物心ついた子供の場合、どちらの親と暮らすべきか、子供本人の意思がかなり重要になる。

このケースの場合、子供の保護者としては、両親にも同居の父方祖父母にも問題はない。子供への健全な愛情もあり、子供自身もそれを分かっている。そこで「どちらの親と暮らしたいか」と問われる子供の気持ちよ、まさに身が引き裂かれる思いだろうよ。

結論は見られぬままに作品は終わるが、小学生の彼は苦しみながらもきっと自分なりの答えに辿りつくのだと思う。子供にだって自分の人生を、自分の幸せを選ぶ権利はある。



子供だった自分を忘れがちだけど

自分が子供だった時のことを思い出してみる。小学生の自分と四十路を迎えた今の自分、基本的な精神性は変わっていない。そして、あの頃も家族のあれやこれやを何となくは分かってた気がする。
 
大人になって子供と接する時、無意識に子供の目を侮ってしまうことがある。相手が子供の頃の自分だと思えば、それは間違いだと気づく。 子供って大人以上によく見てるし、大人が思うより理解している。そんなことを改めて思った2冊だった。




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