宝塚月組「エリザベート」LV観劇から、私の「エリザ熱」は未だ冷めぬ、である。職場であらゆるエリザ動画の音声をBGMとして聴いたり、Wikipediaでエリザベートや周辺の人々の記事を読んだり。

先日久しぶりに藤本ひとみ氏作品を読んだ
流れで、彼女が書いたエリザベートについての小説も読んでみた。タイトルもそのものズバリ「皇妃エリザベート」。


 


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宝塚じゃないエリザベート

私のエリザベートに関する知識は、宝塚歌劇「エリザベート」でできている。エリザベートは悲劇の皇妃で、旦那のオーストリア皇帝フランツはマザコンで主体性がない、ルキーニはイカしたイカれ野郎で、死(トート)は美しく強い。

もちろんミュージカル「エリザベート」はフィクションである。そして藤本氏によるこの作品も、小説というフィクション。史実に基づいた流れは宝塚ミュージカルと同様であるが、人物の描き方が異なっていたり、ミュージカルでは描けないディテールが楽しめたりして面白い。



優等生フランツィ

この作品を読んで一番強く思ったのは「フランツ・ヨーゼフ、可哀想」である。何が可哀想って、どこまでも優等生すぎる彼の生き方。

彼の在位した19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパは、革命の嵐が吹き荒れ、国同士の覇権争いも壮絶だった。戦争と外交に明け暮れた68年、常に難しい選択の連続だったはずだ。その間、健康で気が触れることもなく(周辺には近親結婚により障害を持つ人もいた)、愛人はいたとはいえ特に目立つ醜聞もなく、ただただ政治に邁進。

周辺の王侯貴族には、病弱(先帝他)、政治に関心がない(父)、財産を使い込む(バイエルン王ルートヴィヒ2世)など、統治者としての資質にかける人物がたくさんいた。帝位や王位の継承も、血統に従ってとはいえ結構フレキシブル。

王侯貴族の生活が義務で縛られているとしても、彼ほどそれに忠実だった人はいないのでは?という印象だ。そんな彼を作ったのは、母であるゾフィーなわけだが。



エリザベートにイライラ

フランツは人生の彩に自分と正反対のエリザベートを娶るも、彼の人生に参加するにはエリザベートの魂は自由すぎた。窮屈すぎる宮廷にいられなかったエリザベートに同情はするけど、「やらねばならぬこと」に追いまくられていたフランツにはもっと同情する。

ふたりの間にあったものが、愛情と呼べたのかは分からない。それでもフランツはエリザベートを「選んで」妃にしたわけだし、母ゾフィーの言いなりとはいえ、エリザベートの希望に沿う努力はしていた。フランツには、愛情に近いものがあったわけだ。

「それなのに!」である。エリザベートは宮廷から逃げ出し、皇后の義務を果たさず旅をしてばかり。「フランツ、すごく大変そうだよ?側で労ってあげたら?自分が使っているお金分くらいは義務を果たせば?」と思ってしまう。



自分に似てるから?

エリザベートとフランツ・ヨーゼフ、自分がどちらに近いかというとフランツかなと思う(あくまで自己評価)。フランツほどの忠実さはないとしても、「やらねばならぬこと」が先に来るタイプではある。人間、自分に近い人に肩入れしたくなるのは当然のこと。

戦争には負け続けたフランツだったが、結果的には実質的な最後の皇帝として今も愛される存在となった。臣民には愛されたけど、求め続けた妻の愛と慈しみは得ることができず……。

エリザベートがもう少しだけ我慢強かったり大人だったりしたらと思わずにいられないけど、フランツはそうじゃないシシィを愛したのだから仕方ない。あぁ、人が愛し合うということは、なんと難しいことか。




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