ライター小池みき氏主催の「ライターお茶会」なるものに行ってきた。


これは「ライター業をしている、志している、興味がある」人向けのお茶会である。私はほぼ「ただの小池みきファン」としての参加だったが、ブログ書きとして(書くことで稼ぎたい野望のあるものとして)参考になる話もたくさんあった。

刺激的な時間の感想は、いくつかの切り口で少しずつ書いていこうと思う。今日は「家族との関係」のお話から。



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どこにでもある「汚屋敷問題」

「書くことを考えること」は「人生を考えること」であるとも言える。ブログなんでそのものズバリであり、ライティング、ライター業の話はいつしか人生の話に。小池氏の書いた「汚屋敷と化した実家を片付けた」マンガエッセイについて、参加者の悩みに重ねて話が展開する。


↑「井上能理子」は小池氏のペンネーム。

小池氏は「汚屋敷は結果だから」という。見かねた家族が家を綺麗にしたところで、問題は解決しない。片付けられない、家を管理できないのは、そこに住まう人間たちの精神的病理の現れなのだから。やるべきなのは「精神的問題の解決」であり、家族がメンヘラーになっているのなら、病院へ連れていくことである。



「何もしない」のもひとつの手

小池氏と似た長女(長男)病者は、「実家で起こっている問題」を放置することができない。「これは自分が動いてどうにかすべき」と勝手に思ってしまう。かつての私もそうだった。そして長女(長男)までも、メンヘラーへの第一歩を踏み出してしまったり。

「断捨離本」の第一人者やましたひでこ氏も書いていたが、「何もしないのもひとつの手」である。結局「住まう本人たちがどうにかしないと」と思わない限り、家を出た人間(非当事者)からの助言は耳に入らないし、片付けても汚屋敷は再生産される。






「他人の人生に介入する」なんて誰にもできない

汚屋敷に住む人にとってそこにあるゴミ(に見えるもの)は、「その人の一部」らしい。だから勝手に片付けてしまうことは、「心身を傷つけられる」ような痛みを生むらしい。それは……トラブルになるわ。

汚屋敷問題を非当事者が解決しようとすることは、「家族といえども他人の人生に介入する」ことなのだ。それは当人たちの命の危険がある場合以外は、やってはいけないことなのかも。

この話、私にとっては実家の問題であり、相方の小商い問題(どこまでコミットするか)である。どう生きるかは本人にしか決められない。周囲の人間は伴走者にはなれても、生き方を変えさせることはできないのだ。

最近になってようやく、その境地を手に入れつつある。今回小池氏の話を聞いたことで、改めて「他人の人生より自分の人生」との思いを強くする。そうそう、私は自分の生き方に集中しなければならないのだよ!




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