昨日、予告通り?近所の神社に初詣に行ってきた。地域の人が集まるだけの小さな神社だけど、振る舞い甘酒なんてのも出てて、人も結構きてた。
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↑初めてお札を買ってみる。その神社は八坂さんなんだけど、「八坂神社」と「伊勢神宮」のお札を売ってた。「ふたつもある〜」って話してたら、「天照大御神(伊勢神宮)は神様の代表だから」みたいな説明をされる。そういうものか。

今年は実家に何も連絡せず、「年始の訪問」をしなかった。昨年は「相方の店の営業もあるので行かない」と連絡したけど、今年もそういうことって暗黙の了解してくれてるかな〜?いや、私だけなら行けたんだけど、なんか面倒でさ。



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「幸せな家庭」演出

正月に実家に行きたくない理由、それは「無理に幸せな家庭を演出しようとする」感じがしんどいから。一昨年までは母がおせちを用意してくれて、それをみんなで食べるという儀式を執り行っていた。もうね、本当「儀式」なんだよ。

母は「準備が大変〜」というから、妹と私は「作らなくていいじゃん」って言ってたけど、まぁやるよね。そうやって母が無理して準備したおせちをありがたくいただき、歓談の苦手な父に気を使いつつ、どうにか場を盛り上げようと会話する私と妹……しんどいわ。

どこでも多かれ少なかれそんなもんなのかもと思うけど、相方の家はそうじゃなかったもんな〜。みんな適当に食べて飲んでしてて、楽チンだったな〜。でもそう感じるのは、私がまだ「お客さん」だからなのか?


家族の話をしたくない

我が家は両親の仲が悪いし、私たち兄弟もそれぞれ「世間並み(ってなんだろうね)」とは言い難い家庭状況なので、あまり積極的に家族の話をしない。友達や同僚が屈託無く家族の話をするのを聞くと、なんとも言えない気分になったりする。

大人になれば「人それぞれの事情」に接する機会も増えるし、別に屈託を持つ必要もないって分かってるんだけど。人は話を聞く時に、何となく「世間並みな状態(ステレオタイプ)」を念頭に置いてる気がしてて、そこから逸脱してる話をして「あ……」ってなるのが嫌なのかも。 

そしてそもそも、私自身が家族の状況をちゃんと受け入れられてないんだろうな〜。頭ではステレオタイプでなくていいと分かっていても、心では多分嫌悪感を感じてる。



季節のイベントへの忌避感

我が家(私と相方)は大人所帯だし、季節のイベントをいちいちする必要はないんだけど、どうも私は必要以上にそれを忌避している気がする。

それは多分「ステレオタイプな幸せ像の押し付け」を感じるからだと思う。マス広告業界は、季節の節目節目に「誰かと幸せな時間を持つ」ことを強要してくる(気がしている)。友人の雑談やSNS投稿に、(勝手に)「幸せな家族自慢」を感じたり。
 
過剰に忌避してるのって、そこに拘泥してる証拠でもあるよね。私はそれらのイベントが象徴する「幸せ感」に、いまだに憧れているのかも。

でもさ、そろそろもう「ステレオタイプ」から卒業してもいいでしょ。季節のイベントも、やりたければやればいいし、そうでなくてもいいし。早く「自分本位」を身につけなよ、私。




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