ヨーロッパの多くの国では、人々の生活に欠くことのできないものとして、病院、学校に並び劇場が設置される。劇場付きの劇団やバレエ団があるのも普通のこと。では日本ではどうなのか。

日本では行政主導の芸術文化振興は、どうも上手くいかないようだ。行政の代わりに舞台芸術を支えたのは、個人的な情熱に突き動かされた在野の人々だった。今回は2冊の本から、日本の舞台芸術を創った人々をご紹介。



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「松竹」と「東宝」

宝塚の父として有名な小林一三氏、氏が創り上げた阪急グループの事業の中に、映画やミュージカルで知られる「東宝(東京宝塚)」がある。氏は「歌舞伎」を見て舞台の面白さを知り、後に歌舞伎に代わる「新しい国民劇」を志向するようになる。それが今の「東宝」に繋がるわけだ。
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歌舞伎といえば「松竹」である。「松竹」という名は、白井松次郎氏と大谷竹次郎氏という双子の名前からできた。松竹兄弟の事業は、家業であった劇場の売店商いから始まり、歌舞伎興行を独占するまでになる。劇場運営に並び映画事業もやるというのは、東宝と同じである。

小林氏と松竹兄弟は同じ「興行」の業界で、ライバルとして事業を育てていく。劇場や役者を巡って、鍔迫り合いを演じたこともあったとか。 その辺りのことが詳しく書かれているのがこちら。明治から昭和にかけての劇場に纏わる話、特に歌舞伎役者の名跡の話が読みどころ?である。






バレエとオペラの人「佐々木忠次」
 
松竹のSKD、小林氏の宝塚を見て舞台に憧れたのは、「日本のディアギレフ」と謳われることになる佐々木忠次氏である。国内オペラの舞台監督から始まり、海外有名オペラの招聘、東京バレエ学校との出会いを経て「東京バレエ団」の創立へと繋がっていく佐々木氏のキャリアは、日本ではあまり聞かれない「インプレサリオ」という呼び名がふさわしい。

バレエに詳しくない人でも「モーリス・ベジャール」「シルヴィ・ギエム」という名はご存知ではないだろうか?「ボレロ」という演目で有名な振付家と舞踏家である彼らは、佐々木氏と東京バレエ団に絶大なる信頼を寄せていた。

バレエとオペラという舞台芸術に携わった佐々木氏も、日本という国の芸術文化事業への無理解に苦しめられたひとりだった。ヨーロッパでのオペラやバレエ公演がなぜ日本より安く見られるのか、それは国の補助があるからである……。



 


舞台芸術の行方
 
ここ数年華やかな盛り上がりを見せる「東宝ミュージカル」は、小林氏の思い描いた「国民劇」たり得ているのか?素人からは取っつきにくい歌舞伎の世界、歌舞伎以外で活躍する役者が増えたことで、若い世代の人気も獲得できているのか?昭和30年代の方が盛んだったというオペラやバレエ、今後再興される兆しはあるのか?

舞台鑑賞が人生の大切な糧である私としては、「誰もが気軽に舞台鑑賞」という世の中になればいいなと思う。行政の補助は見込めないとしても、客が入らないことには公演もできないわけで。舞台芸術を愛するなら、支えるべくせっせと劇場に足を運ぶしかない。



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