エッセイとかノンフィクション系の本を読んでいて、意図せず「宝塚」というワードに出会うとちょっとワクワクしちゃうのがヅカオタ心。書き手がガチのヅカオタだと「こんなところにも仲間が!」と嬉しいし、そうじゃないと「ファンじゃない人に宝塚がどう映っているのか」が気になる。

今回そんな喜びに出会ったのは、ジェーン・スー氏のエッセイだった。


 
エレ片でやつい氏が彼女のラジオについて熱く語っているのを聞いて、どんな方か気になっていたのだ。今回のエッセイでは、「女であることのしんどさと、女市場から引退しつつある自分」みたいな話が書かれていて、「女」を背負う気が一切ない私には共感するところはなかったのだが。




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3回見てハマらなかった

ジェーン・スー氏が友人に誘われて観たという作品は、内容説明と時期から見てこの3作品だと思われる。







見る前は宝塚未経験者にありがちな「派手な化粧」「女しかいない」ことへの不安を持っていたが、観てみると違和感などはどこへやら、しっかりとその世界観を楽しめたようだ。立て続けに3回観劇し(かなりの良席含む)、結果的にハマりはしなかったが、だからこその冷静な分析が面白かった。



宝塚は「大衆演劇」

ジェーン・スー氏はまず、「宝塚は観客の期待するもの裏切らず、それ以上のクオリティで見せてくれる大衆演劇(内容だいたい)」と書いていた。大衆演劇という感覚、私もそう思ってた〜!(便乗?)「マンネリズムが心地よいストーリー」「理屈より情緒」「正義は美しい」「分かりやすさが大事」なんてところ、大衆演劇っぽいよね。

宝塚作品で脚本や演出の質を云々言ったりするけど、結局「主役がしっかりかっこよく」「主役側の正義が通る」作品であれば何でも良いところがある。「どれも似たり寄ったりのストーリーだよな〜」と思うけど、観ていてカタルシスを感じるのが肝なのだから、基本の骨組みが同じなのは仕方ないし、だからこそ強いとも言える。



美しさしか見せない

宝塚の劇場ではオペラグラスの貸し出しをしていて、貸出時に保証金5000円を預け、返却時に返してもらうシステム。ジェーン・スー氏は返却された5000円が「封筒に入れらたピン札だった」ことに、「宝塚歌劇の真髄見たり」と思ったらしい(内容たいだい)。

宝塚のモットーは「清く、正しく、美しく」であり、劇場に一歩足を踏み入れた瞬間から、夢の世界が広がる。「観客には美しいものしか見せない」という心意気が各所に貫かれており、それは「ピン札の返金」という形でも現れる。

舞台上で繰り広げられるハフォーマンスだけでなく、劇場運営、ファンクラブ活動の様子(出待ち、入り待ちのファンの規律正しさ)まで、宝塚に関わる全ての人によって、「唯一無二の美しさ」が作り上げられる。世界観の完成度の高さは、かのディズニーランド&シーにも似たものがある(ジェンヌに夢の愛好者が多いのも頷ける)。



男と女のありえなさ

宝塚の舞台では「女のために己を曲げる男」がいて、そんな男に「ただただ一途についていく女」がいる。少々時代錯誤的とも思える男女観は、「シンデレラ」他西洋童話を読んで育った女性たちの「プリンセス妄想」を満たしてくれる。

ジェーン・スー氏は「もと自立した女性が活躍する話ならハマったかも」と言いつつ、「現実ではありえない夢物語は確実に癒しである」と感じたようだ(内容だいたい)。「かっこいい男性に選ばれる女性でありたい」願望はありつつ、男性におもねりたくはない。宝塚であれば男性を演じるも女性であるから、安心して心を預けられる。そんな安全装置故に、女性は宝塚にハマるのかもね。




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