「エレマガ 。」の最新号(254号)の「やついコラム・続・それこそ青春というやつなのだろうな#3」のエピソードに唸る。ラーメンズのふたりとやつい氏の3人でフリマに行った時の話、特に欲しいものが見つけられずに速攻で退屈してたやつい氏と片桐氏を尻目に、いくつか掘り出し物を手に戻ってきた小林氏。同じものを見ていたはずなのに、そこに利用法と価値を見出せる小林氏の審美眼、さすが〜なのである。

何事もこれに尽きるんだろうな。何に価値を見出せるか、自分にとって有用なものに気づく力、目指すもののイメージをパッと描けるか。それには「良いものを見まくる」ことと「自分の好きをひたすら考え続ける」ことが必要な気がする。



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意識高い系芸人、来県

地元に意識高い系芸人が講演にくるらしく、相方にその話をしたら「あの方、お話は面白いけどモラハラっぽくてちょっと」と言う。私はそんな風に思ってなかったけど、言われてみたら意識高い系活動をしてる(かつそれをアピールし影響力を拡大してる)人たちは、全体的にややモラハラ感があるかも。

モラハラって、「自分の価値観は正義であり、それに合致しないあなたは無能(悪)」ってな感じで他者に精神的圧力をかけるものかなと思うのだけど、意識高い系活動の人たちのポジショントークも構造的には同じかなと思う。

ちょっと前まではそういう人たちの言動をチェックしてたけど、今はもうやってないのは、彼らの言動がいちいち癇に障るからかも。なんか疲れるんだよね〜。そして勉強は自分で必要性を見つけてからやらないと、漫然と「最新情報チェック」してるだけでは何の役にも立たない。



正解などない

今読んでる本、結構分厚くて内容も分からないことが多くて、読み通せるか不安でいっぱい。翻訳の文章が、やや意味不明感もある。

グーグルが消える日 Life after Google
ジョージ・ギルダー
SBクリエイティブ
2019-05-18


これとか読んでると、「世界を変えるようなテクノロジーはどんどん移り変わっていき、テクノロジーの変化はイコール価値観の転換だな」とわかる。まさにコペルニクス的展開が凄まじいスピードでガンガン起こっている世界に生きてるわけね。

ものすごいスピードで変化する時代では、現時点で主流なことがすぐに時代遅れになり、時代に乗り遅れてると無能呼ばわりされる。どの時点で判断するかで正解が変わるので、正解を捕まえるのが非常に困難な世の中。

そんな世界ではもう、「世の中」という基準で正解を探すことに意味があるのかという気がしてくる。今は良くても10年後には消えてることなんで無数にあるのだから、これはもう「好きなことをやりたいようにやるしかないな」と思えてくる。それが世の中の評価に合わなくても、「好きでやってたことだからいいか」と思えるじゃん?



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