一人暮らしは食生活が貧しくなる。炭水化物ばかりだと体調がおかしくなるので、最近はなるべく料理するようにしてる(偉い!)。しかし一度料理したら何食か同じものを食べるようになり、最後の方は心が満たされない食事……。

ここ数日は実家からのピーマン攻撃を受け、日々揚げ浸しやらバター炒めやらで食する。 ピーマンとかナスとかの夏野菜って、単品でも結構主役感あっていいよね〜。見た目が鮮やかでさ、味もメリハリあってさ。



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LGBTの意識低い系

昨日の予告通り、先日の丸亀レインボーパレードで考えたことを書こうと思う。



県外からの参加者も多かったこのイベント(半分以上かもしれない)には、LGBT界の有名人たちも駆けつけてくれた。増原裕子氏、杉山文野氏、村木真紀氏などなど、ニュースサイトとかテレビとかで見るような人たち。

アクティビストとして華やかに活躍する彼ら、県内でも活動の中心にいる仲間と話していると、私たちの日頃の意識の低さを痛感する。私や相方は当事者だからと言って活動に熱心なわけではなく、LGBT系のニュースもあまりチェックしていない。結果、話についてけない場面もしばしば。

活躍する彼らは「当事者である」部分以外のところでは、社会的に恵まれた立場にいる人が多い。その「キラキラ」にちょっと当てられた気持ち。



格差、断絶の存在

今回のパレード、多分県内で参加したくてもできなかった人たちがたくさんいたのではと思う。「地元だと誰に見られるかわからない」からだ。パレードに参加できている時点で、「当事者としては結構恵まれている」といえる。誰かに見られてもいいくらい、家族や職場での受け入れ態勢が整ってる人ということだもの。

アクティビストとして活躍する人たち、パレードなどで顔出し出来る人たち、LGBT団体のやるイベントに参加できる人たち、社会的活動に一切参加しない(できない)人たち……同じ当事者でも、そこにはいくつかの段階の格差がある。それはカミングアウトの状況であったり、教育格差、情報格差だったり、社会的活動への関心の有無だったり。それを生み出しているのは、本人の努力でどうにもならないもの(生まれそだった場所、経済状態、親の考え方)な気がする。



恐れで動けない

パレードの前にあったトークの中で、地元で活躍してる人でも「地元にLGBT団体があることは知ってたけど、初めは怖くて行けなかった」と言っていた。彼らでもそうなのだから、同じように思ってまだ行動できてない当事者はたくさんいるのだろうと想像する。

恐れで動けないと、有用な情報に辿り着くことができない。友人Z氏は「そういうワードを検索すること自体が怖かった」そうだ。そんな「スタート地点にも辿り着けない当事者」をどうすればいいのか?今回のパレードのようなイベントをニュースで見ることで、彼らの勇気を引き出すことができるのか?



「理解できない」の向こう側

私は基本オープンで生きられた人なので、カミングアウトできないと悩む人の気持ちが本当のところでは理解できない。家族のためにと、自分を殺して生きてる人の気持ちが理解できない。日々の生活で当事者としての意識が薄いので、啓発活動にめっちゃエネルギー注いている人の気持ちも理解できない。もちろんLGBT差別をする人の気持ちが理解できない。

でもさ、人間関係は基本「理解できない」がベースにあるんだよね。そう気づいてない人もいるけど。田舎で差別がなくなりにくいのも、このベースに気付きにくいからだと思う。狭い世界では「みんな同じ、分かり合えてる」って思い込んでる。

LGBTの活動では「非当事者からの差別とどう向き合うか」にばかり目が行きがちだけど、コミュニティの中にも「理解できない」がある気がしている。すべての当事者が救われるためには、そこにも目を向けた方がいいのかなと思ったりした。




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