久しぶりに伊坂幸太郎作品を読む。

フーガはユーガ
伊坂 幸太郎
実業之日本社
2018-11-08


題名がメルヘンチックなので油断していたら、悲しくて辛くて許せないことばかり起こる話だった。夜中に眠い目をこすりながら読み終えたのだけど、あまりにも悲しくて、珍しく相方に甘えてみる……暑くてすぐやめる。
 


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アヒルのコインロッカー」を思い出す

この作品を読んでたら、伊坂作品で映画化もされた「アヒルと鴨のコインロッカー」を思い出す。サイコパス的に理由なく暴力を働く人間が出てくること、過去の事件を振り返って語られる形式、主人公が復讐を成し遂げるも救われない読後感。



伊坂作品では「救いようのない悪」とそれに対峙せざるを得なくなる「軽やかなる善意の人」が度々描かれる。善意の人は自分や身近な人にふりかかった火の粉を振り払うべく善処するが、それで世界が変わったり悪が滅んだりはしない。復讐により悪人がひとり消えても、失われたものは戻らないし、悪人が改心することは絶対にない。



世界は少しずつ良くなると思っていた

子供の頃は無邪気に「世界は少しずつ良くなる」と思っていた気がする。ところが大人になってみると、日本はどんどん住みにくい国になっていくし、世界の紛争も貧困もいつまでたってもなくならない。権力と富の偏りはますますひどくなり、民衆は権力者の横暴を止める術を知らない。

伊坂氏の描く悪は、世界をダメにしているあらゆるものの象徴のようだ。理由のある罪ならまだ救いがある。理由がない、もしくは理解できない暴力を見続けていると、読んでいる私までも絶望的な無力感に襲われる。そしてその無力感は、現実世界でどう立ち向かえば良いかわからない壁と向き合うときの気持ちと似ている。



乾いてないと

伊坂氏の場合、暴力や悲しみの描写に湿度がないのでどうにか読める。そして現実社会で生きるのも、いちいちウェットになっていてはやってられないよな、と思う。辛いことがあっても、悲しんだり悔しがったりするには疲れすぎている、ただ淡々とすべきことをするだけ、みたいなことあるよね。

いつもなら伊坂作品の軽やかさ、メルヘンな設定に救われたりするのに、今回はどうにも辛いばかりだった。それは私が現実世界に疲れてるということなのかしら?そんなことないと思うけど、10年前、20年前よりは確実に「世界にはどうにもならないことがある」ことを知っちゃってる気はする。

では私は伊坂作品で描かれる暴力と悲しみに、何を思えば良いのだろうか?悲しい復讐を遂げる主人公たちのように、くそったれな世界に一矢報いるべく生きるべきなのだろうか?わからない。とにかく辛い、辛すぎる作品だった。



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