今年のお勤めも、あと1週間で終わり。今週は年末だというのに、初めてやる当番作業が当たっててちょっと気が重かった。やってみれば心配するほどのこともなく。何でも手をつける前は要らぬ不安が過ぎるが、「今までだってやれなかったことないじゃん」と自分を励ます。そして大抵大丈夫。

急に寒くなった週末、やや身近で不幸があった。誰かの不幸に接するたびに、「私は今のままで大丈夫か?」と考える。自分の幸せに忠実でありたい。



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存分に怒りたい

ドラマ「すいか」の脚本などで知られる木皿泉のエッセイを読んでいる。ドラマの印象でもっと浮世離れした感覚を予想したが、意外と俗世間、小市民的感覚もあるみたいで嬉しかった。



この中で「怒りたいことがあっても、相手が先に謝ってきたりして存分に怒れないことがある」という話が出てくる。「気が済むまで思い切り怒りたい!」というこの主張に、「おぉ、そんなこと言ってもいいのか!」と目が開かれる。

アンガーマネジメントなんてあるくらい、世の中では怒りをうまく制御し、場合によっては怒りの表出を回避するのが良いとされる。私は怒りっぽい方だが、だからこそそういう性質をどうにかした方がいいんだろうと思っていた。だからこそ、木皿泉のこの主張にびっくりしたのだ。



体が震えるほどの怒り

怒りって本人より周りで見ている人の方が、よりストレートに感じる場合がある気がする。小池みき氏のこの話がそういう例というわけじゃないが、私は当事者としてここまで怒ったことがあるだろうかと考えてしまった。



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LGBTの話で批判的な物言いをされた時(それがそもそも稀だけど)に、たまにうまく言い返せない時がある。怒るより先に、「論理的に言い返せないというのは、本当は私たちの方が間違っているのか?」と過ぎったりするのだ。冷静になると「すべての事象を論理的に説明するなんて無理なのにね」と気づくのだけど。

小池氏が怒っているのを見て私は勇気づられ癒されるのだけど、それは当事者の態度として適切なのだろうかと考える。当事者である私が、ちゃんと怒るべき時に怒らなければいけないのでは?怒りという形の主張を、誰かに肩代わりさせて楽してんじゃないよ、と思う。


怒りを抑制し、人との衝突を避けた方がストレスは少ない。だけどそうすることで失われる大事な何かもあるのでは?と思った1日。




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