集中して仕事しつつラジオを聴くのが、かなり気持ち良い。文字を打ったりする時は無理だけど、レイアウト作業だと意外と邪魔にならない。使う脳みその場所が違うからなのか?

自動化された機械のようにマウスをカチカチやりながら、脳みそにはラジオのどうでも良い話が流れ込む。なんというか、ラジオの音声が脳みそを洗っているような気分。同じ快感が、小説を読んでいる時にもある。



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椎名林檎×小林賢太郎

昨年放送されたSWITCHインタビュー「椎名林檎×小林賢太郎」の再放送を見た。

 

世界観を緻密に作り込む作風が共通しているふたりだが、話を聴いているとだんだん違う部分が見えてきて面白かった。椎名氏はしきりに「私は女だから」というけど、無理に女という属性に理由を求めなくても良いのでは?と思ったりする。彼女に取って「女である自分」は、創作の上でのキーなのかな。

自意識から自由になれない自分に、コンプレックスを感じてそうな小林氏。だからこそ、自意識から自由そうな片桐仁氏とラーメンズをやってたのか。時にやや強引に共感を求める様子は、お母さんに褒められたがる小さな子供のようだった。



評論家の役割

表現者は作品(だけじゃないだろうけど)に対して賛否様々なことを言われるわけだが、今はネットの力も手伝って、誰もが評論家の如く意見を公にする世の中。小林氏は「評論家の仕事は作品の良さをわかりやすく伝える、翻訳のようなものである(大意)」という話をしていた。「作品を好きになろうとする人の邪魔をするのは、評論家の仕事とは言えない(大意)」とも。

最近ずっと「他人を批判するのって嫌なものだし、役に立たない」ということを考えている。私も作品に対して「もっとこうであったらな〜」なんて勝手な希望を言いがちだけど、必要以上に辛口なことを言う意味はないし、思っても自分の心に留めておけばいいなと反省している。

こういう話を、評論の対象となる表現者自らがしていたのは、とても意味のあることだと思う。彼らは批判を恐れているわけではなく、より良い作品を観客とともに作りたいと思っているのではないだろうか。作品を鑑賞する私たちは、ただただ応援していればいいのだ。



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