映画な週末で見たうちの一つが、明治時代の「エルトゥールル号遭難事件」の話だった。見知らぬ人々、国も言葉も違う人たちを救った住民たちの献身には、当然だが胸打たれる。約100年後、イラン・イラク戦争でイランに取り残された日本人は、トルコ政府が飛ばしてくれた飛行機によって救われる。見終わって最後に残るのは、「下手な言い訳で自国民を見捨てた日本政府はクソ」だわ。

海難1890
内野 聖陽
2016-06-08

 
現在の新型肺炎の状況を見ても、日本に住むのがどんどんイヤになる。 有事の際に国民の安全を優先しない政府、オリンピックやカジノなんてわけの分からないものに予算を使うのに、感染症対策には予算を割きたがらない政府。国民は搾取の対象であって、守るべきものではないらしい。



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ソロモンの偽証

ずっと映画の話ばかりしてる。そういう週末だったから仕方ない。6本のうちの2本がこちら。





中学校の屋上からクラスメイトが落ちて死んだ。自殺で処理されるも、他殺をほのめかす投書が届く。クラスメイトの中にモヤモヤを残したまま学年が変わる。彼らは大人たちの反対を押し切り、自分たちで事件の裁判を開くことを決める。

事件の真相が何だったのか、それを知りたい気持ちで2本続けて見る。登場人物の多くが中学生だからか、重い話のわりにしんどくならずに見続けられた。



暴力の恐怖

前編の冒頭で暴行シーンがある。暴力の深刻度合い(酷いけど重傷を負わせるほどじゃない)がリアル。殴られる女子生徒の悲鳴を聞いていると、瞬間的に自分が殴られてる気持ちになった。恐怖、ただそれだけに支配されてしまう。そうなるとできることは哀願することしかない。

DV被害者がその状況から逃げられなくなるという話は聞く。感情や生きる力を奪うとか、知識としてはぼんやり理解していたが、本当のところはわからない。今回映画を見ていて、少し想像できた気がした。

暴力に晒されると、「今その時を切り抜ける」ことしか考えられなくなるのだと思う。そこから先に思考が働かなくなる。暴力から逃れるためなら、自尊心など簡単に手放してしまう。 それがさらに自分を壊す。暴力の恐怖は身体的なものももちろんだけど、精神的に人を壊すことかも知れない。

 

不幸の先取り

「彼女が〜」もそうだけどああいうしんどい映画を見るにつけ、自分がいつも「不幸の先取り」で不安になってるな〜と思った。そこまで悲惨なことは起こってないのに、何か大変なことが起こるかもって勝手に先回りして自分で自分を不安にしている。

毎日ちゃんと家に帰れて、あったかい場所であったかいご飯が食べられて、とりあえず好きなことができる程度の余裕もある。一緒にご飯を食べたり話をしたりする相手もいる。あからさまな敵意にさらされてもない。十分幸せじゃないか。

なーんか、「幸活(幸せを実感する活動)」とかすべきかもね。




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