昨日も元気に3件のジモティ案件をこなす。メルカリ発送も2件。そろそろ売りに出す物がなくなってきた。それでも探索眼の解像度を上げて、さらに減らせるものを探すのだ。

ジモティでもメルカリでも、たまにディスカウントの問い合わせをもらう。メルカリは送料のことがあるから、そこは考慮してほしい。昨日のジモティの人は、迷うふりをして明らかに「ただ同然にしてくれんかな?」という感じだった。 結局こちらの言い値で引き取ってくれたけど。




style="display:inline-block;width:336px;height:280px"
data-ad-client="ca-pub-5869483790913921"
data-ad-slot="2637820497">




今更「銀英伝」

図書館が再開したので、やっと新しい本が読める。その前に相方が実家から「銀英伝」を持ってきてくれた。銀英伝、知ってます?私全然知らなかった。「銀河英雄伝説」という長編SF小説(多分ジュブナイル向け)、1982年から刊行とのこと。漫画やアニメにもなってるけど、かすりもしない人生だったわ。

銀河英雄伝説全15巻BOXセット (創元SF文庫)
田中芳樹
東京創元社
2017-10-12



この作品、宝塚でも上演されている。



相方曰く、「90年代月組でこれをやるなら、3人くらい久世さんが必要」とのこと。それくらい、深みと影のある人物が出てくるってことかしらね?今5冊くらい読んだけど、戦闘シーンより政治的背景や人物描写に重きが置かれてて、なんとか楽しめている。


戦争小説

いつの時代も戦争もの、暴力もの、犯罪もののフィクション作品が絶えない。そういう困難を乗り越えるストーリーには、ゲーム的面白さがあるのは分かる。刺激のないただただ平和な話では、読み手の心拍数が上がらないだろうし。それにしても、そういうテーマが多いのはなんでだろう?

たまに、昔書かれたSF作品が、現実を予言するというようなことが起こる。それは驚くべきことではなく、然もありなんなのではないだろうか?人が想像しうるあらゆる可能性は、条件が整えば実現可能だと思う。フィクションが示すいくつかの可能性で、実現したのがたまたまそれだった、みたいな話。

フィクションで暴力や悲惨な事態が描かれることは、数多の可能性のうち、世界はどれを選択すべきか吟味しているということなのかもしれない。暴力が発生する可能性がとても高く、だからこそ積極的に避けなければという示唆なのかなと。




style="display:inline-block;width:336px;height:280px"
data-ad-client="ca-pub-5869483790913921"
data-ad-slot="2637820497">




人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村